人気商売は難しい

私は小さい頃から写真を撮ることが好きで、誕生日が来るたびに色々なカメラをねだっていた。
最初に買ってもらったカメラはポラロイドカメラ。
今で言うチェキというやつだろうか。
当時はフィルムカメラがほぼ主流になり、ポラロイドを日常で見かける機会はほとんどなくなっていた。
しかしそれが私の所有欲を満たしてくれて、むしろ自慢したいくらいだった。
決して安くないカメラを毎年買い与えてくれた両親には感謝してもしきれない。

 

中学、高校と写真部に入り、他のカメラ好きとの交流をするようになり、自分の撮った写真を見てもらう楽しさを知った。
毎年の文化祭では部員達による写真展が行われ、投票により順位付けされるシステムだったのもあってかなり燃えた。
6年間で上位に入ったのは2回だけだったが、部員数が20人近くいたことを考えれば十分な結果だ。

 

高校卒業して、進路は当然写真の専門学校。
写真と言うか、カメラマンの専門学校の方が表現としては正しいか。

 

それまでは独学で写真について人に教わる経験がなかったため、毎日がすごく刺激的だった。
たくさんのことを学び身に付け、自身の写真の幅も大きく広がった2年間。
今もたまに訪れて、先生方と雑談して楽しい時間を過ごさせてもらっている。

 

専門学校卒業後は特に就職せず、フリーで活動していた。
とは言えあまり生活に余裕はなく、アルバイトをしながらの形。
むしろアルバイトがメインの仕事と言っても良いくらいで、写真の仕事はたまに商品だとかの宣材写真撮影を母校の紹介でするくらい。
たまに写真展を開いたりもしていたけど、無名のため来客はほぼなし。
写真だけで生きていけたらどんなに良いかと思いながら過ごすものの現実は甘くない。

 

このまま夢見ていてはダメになると思い、何か定職に就こうと考えた。
私は写真以外で好きなことと言うと、語学だった。
英語は日常会話程度ならカタコトだが話すことができたし、外国人との異文化コミュニケーションは楽しい。
これを活かすにはどうしたら良いかと言ったら、やはり考え付いたのは日本語教師だった。

日本語教師として働くために

どうすれば良いのかをまず調べた。
わかったことは、とりあえず資格を取るべきと言うこと。
日本語教師の資格は、日本語教師1級みたいなものが特にあるわけではない。
定められた時間の研修を受けるか、試験に合格するかで取ることができる。

 

アルバイトをしながら研修を受けに行くのは難しかったので、試験を受けることにした。
日本語教育能力検定と言う試験で、参考書が多く出ていて独学でも合格できるらしかった。
ただその合格率は低く、難関試験と言うことでも有名。
その分合格すれば就職にはかなり強力な味方になってくれると思い、参考書を買い勉強スタート。

 

が、日本語教師と言う人に教える職業を目指す以上、机上だけの勉強ではわかりにくいことも多かった。
Youtubeで参考になる動画を見ることはできるものの、コレだと言う答えが得られるものはなかった。
やはり独学での限界はあるものだと悩んでも、通学する時間も予算もなかったので困り果てていた。

 

ここで一念発起して写真家として頑張ってみる選択肢も思い浮かんだが、やり切れる自信はなかった。
それよりも正社員として就職し、写真は趣味に留めておくべきと判断。
日本語教師の勉強方法を見直すことにした。

 

検索してみると、どうやら通信が存在していることがわかった。
通信であれば通学に比べてお金はそんなにかからないし、自分の好きな時間を使って勉強できるしありがたい。
怠けグセのある人には厳しいだろうが、そんなことを言っていられる状況ではなかったので問題なく勉強するだろうと思い、分割払いで申し込んだ。

 

通信ではあるものの、講師にメールで質問ができるため、疑問が解消できないで悩むことがなくなりどんどん勉強は進めていけた。
独学では本当に合格できるのか不安で仕方なかった試験にも自信を持って臨むことができ、無事に合格。
晴れて日本語教師の資格を得ることができた。

 

検索すると色々と参考になるサイトが出てくるので、通信での挑戦をもし考えるならじっくり調べてみてほしい。
今見た印象では↓のサイトが好み。
日本語教育能力検定試験の通信情報サイト

就職先探し

日本語教師の資格は得たものの、就職先を探さなければ意味がない。
普通なら自分で求人をチェックして応募するのだろうけど、受講した通信が就職先の紹介もしていたため、スムーズに就職できた。
こちらの希望をいくつか伝え、合致するところをピックアップしてもらい、面接日時が決まる。
面接当日は久しぶりにスーツを着たが、太るどころか痩せている自分に驚いた。
相当ストレスを感じながらの生活だったからなのか、原因は定かではないがしっかり食べようと思ったものだ。

 

面接は和やかな雰囲気で進み、その場で採用が決定。
紹介だからと言うのが大きかったのだと思うけど、こんなすぐに就職できると思っていなかったので拍子抜けした。
簡単な研修用資料をもらいその日は帰宅。
家で資料に目を通しながら、喜びをかみ締め、一人ビールで祝杯をあげた。
勉強中はずっと我慢していたので、人生で一番美味しく感じたビールだった。

 

それから、苦労をかけてきた両親にささやかながらディナーをご馳走した。
二人とも喜んでくれて、頑張ってきたかいがあったと再認識。
早く孫の顔を…なんて思ったりもしたが、それはまだまだ時間がかかりそうだ。

初めての授業とその後

就職先の日本語学校は、ほとんどの生徒がアジア出身。
中国や韓国が多かった。
政治的にはなかなか関係が良くならない国だが、個人同士での付き合いとなれば話は別で、実に良い人たちが多い。
親日家とでも言えば良いのだろうか。
日本語の勉強も一生懸命だし、授業外でも雑談をしに積極的に話しかけてくれるのだ。
それも笑顔で。
言葉の通じない相手とのコミュニケーションに最初は不安があったけど、お互い笑顔で身振り手振り、時には辞書を引きながらでも話をすれば会話は成り立つものだと実感した。

 

初めての授業は今思えばひどいものだった。
生徒たちも頭に?マークがたくさん浮かんだことと思う。
案の定、教室の後ろで見ていた先輩からは授業終わりにダメ出しの嵐を食らい、げっそり。
それでも回を重ねるごとに慣れていくもので、人気教師とは言えないだろうがある程度どこの日本語学校でも通用するだろうレベルで授業はできるようになった。
生徒たちと仲良くなることもでき、仕事終わりに一緒に飲みに行くような特に仲の良い生徒も5人ほどできた。
その5人はそこそこ日本語が話せるクラスにいて、飲みに行った時は逆に彼らの母国語である韓国語を教えてもらっていた。
韓国には正直良い印象がなく、行ってみたいと思ったことはそれまで一度もなかったが、彼らと親しくしているうちに行ってみたいと思うようになった。
現在もまだ行くことはできていないが、今度の夏の長期休暇にでも予定を立てたいと思っている。

写真家としての活動

日本語教師になってしばらくは余裕がなく、なかなか写真を撮りに出かけることがなかったが、半年ほど経った頃から休みはカメラを持って出かけるようになった。

 

以前は人物をよく撮っていたが、今は風景をメインにしている。
四季折々の表情を切り取る作業は難しいがとても楽しく、多い時は1日で500回以上シャッターを切っている。
いずれは気に入った写真をまとめて小さな画廊かどこかで個展をまたやりたいと思っているが、まずは貯金をもっと増やさねば…。

 

でも、ほぼフリーターのような状態の頃に比べると精神的な余裕ができたからか、良い写真が撮れるようになった気もしている。
追い詰められなければ発揮できない力と言うのもあると思うが、余裕がないと生み出せないものと言うのもやはりあるのだろう。
そう考えると私には写真家は向いていなくて、趣味としての方が楽しめるものだったのだと思う。
好きなことを仕事にできたらどんなに良いかと考える人は多いと思うが、ほとんどの場合厳しい道であることを理解していないといけないことは頭に置いておいてほしい。

 

今後は作品を撮りためつつ、公開するサイトも持ってみたい。
そんな足がかりにでもなればと思い、サイト作成ソフトとドメインと言うのを買って、とりあえず自分の経験を語ってみようと作ったのがこのサイトだ。
上手く見れているのかわからないが、新しいことをやるのは刺激的で楽しい。
サイト作りについてももっと色々できるように勉強してみたいと思う。

作者プロフィール

木久地 翔
1984年生まれの32歳。
好きな食べ物は寿司、嫌いな食べ物はグリンピース。
最近生徒の女性と良い感じ。